『昔、Macintoshというパソコンがあってな。…いや、はるなにもよく話してた Mac とか iPod とかよりも、ちょっとだけ前の話じゃ。

1990年代前半に、空前のMacintoshブーム、みたいなものがあってな。なんせ秋葉原界隈にもMacintoshの専門店が一つや二つではなく、幾つもあったりしたのじゃ。CD-ROMに無限の可能性を感じることが出来た時代、漢字Talk7が大々的に出て、パソコン界のポルシェだったMacintoshが、少し背を伸ばせば庶民の手にも手に入るという時代じゃった。
おじいちゃんも学生時代にMacintoshに憧れていてのう。ちょうどその頃、Apple自らがマーケティングに失敗して迷走した結果、型落ちの機種が市場にダブついて、捨て値で売られてることも珍しく無かったんじゃ。
おじいちゃんも大学生のとき、ColorClassicという一体型Macを、なんと新品5万円で入手して
のう…『Macを所有する=ブルジョア』というイメージじゃったから、それはもう人生の勝者になった気持ちじゃった。まぁ直前まで化石と化したFM77AVを使い続けていたから隔世の感があったというのも事実じゃがのう…

おじいちゃん、もうMacの虜になっちゃってな。気がつけば周りの人に吹聴してMacユーザーを増やすことに飽き足らず、大学卒業してからは10年ほど秋葉原でMac売ったりして働いとった。小さなMac屋で長い間店長とかやっとったんじゃ。G3が発売される直前から、intel Macが発売されてちょっとしたころまでアキバな人生を送っとった。iMacの販売にあたっては販売店の選定があって、多くの泡沫店舗はiMacを売っちゃダメ、なんていう強気のアップルジャパン様々、というエピソードも、あぁ…何もかも皆、懐かしい…
インテル化した最初の頃に絶望的なまでに国内のMac販売量が落ち込んだせいか、その辺りから普通にiMac売っても文句言われなくなったなそういえば。まぁ社長がマクドに行った辺りから方針が変わったのかもしれん。今となってはどうでも良い話じゃが。

当時はちっちゃなMac屋じゃったから宣伝費もかけられなくてな。半ば個人的な趣味で脱力したバナーとか作って告知しとった。嬉しいことに一時期バナーは一部の人には人気になっとったが、どのくらい売り上げに貢献してたかは今はもう誰も分からん。社内ではネタの意味を理解する人が皆無じゃったというのも、まぁ今となっては意味の無い昔の話じゃ。
しかし後から知ったんじゃが、アッ○ルジャパン社内で、かなり煙たがられてたという話を聞いたもんじゃw

おじいちゃん、その後勢いで会社辞めて独立してな。なんとも形容しがたいんじゃが、ライターとかFlashとかイラストとか漫画とか、デジタル関係全般の便利屋みたいなことをやっとった。…んー、Mac関係で言えばMac雑誌とか、ムック本とかのライター仕事とかも幾つか請け負ってたような気がするんじゃが、
…2007年とか2008年頃からの記憶が、ちょっと曖昧なんじゃ。やっぱり年だからボケてるんじゃろう。
んー、老いとは恐ろしいのう。ま、老いすら楽しむものじゃ、我々英国人(ジョンブル)は。

「そこっ! 英国人、ってかヘルシングかーっ!!」

うむ、はるな…良いツッコミじゃ。
おじいちゃん嬉しいぞ。

はるな、
おまえも将来いろいろなものにハマるじゃろう。
だが、人間何事も度をすぎてはダメだぞ。おじいちゃん、当時貧乏なのに、気がつけば15年で50台くらいMacintosh買ってたりしてたからのう… まぁ中古で安いのばっかり買ったり手放したりしとったんじゃが、はっきり言って無駄使いじゃ。
それでも大学生の頃、無意味にモデムにハマって、1回線しか無いのに7台モデムを直列に繋いでた頃に比べれば、いくぶんまともじゃったと言えるが。

ゴフン、話がそれたな。
まぁ、それはともかく、
今にして思うが、90年代中盤の雰囲気のままのアキバがそこに続いていれば、きっとMacとかタブレットPCとかGPSとかに注力した店に、ずっと携わっていたのかもしれないのう。そんな人生も楽しかったかもしれん。

…ゴッ…ゴフッ』

「うわーっおじいちゃん!」

『…初代iMacスマートローンを契約後の翌月、iMacの価格が改定されてしまった人を7人集めるのじゃ…その者達の子孫こそ、この世を救う真の勇者たち…』(ガクッ)

「おじいちゃーんっ! おじいちゃんしっかりしてーっ!」

#3 俺とMacintosh
  
-人生の勝者になった、気がした(錯覚)-
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